卓球と私

南さつま市視覚障害者協会

中宮 恵子

 鹿児島県視覚障害者団体連合会の会員の皆様こんにちは。南さつま市の中宮恵子と申します。

 私はサウンドテーブルテニス・その他視覚障害者活動に対し,視覚連には,大変お世話になっております。

 私は,5年前に腰を痛め手術をしました。もう,卓球人生も終わりとあきらめていたのですが,私の生きがいとなってしまった卓球をあきらめることはとうていできませんでした。でも,そのおかげで去年・一昨年と九州大会に出ることができ,団体・個人共に優勝することが出来ました。何より嬉しかったのは,団体の連勝です。今も思い出せば震えがきそうな緊張の中無我夢中で戦って次の人に繋げられた時の安堵感,そして,最後の脇園監督への信頼感で勝てた時は何者にも代え難い喜びとなりました。

 私は日頃は,「自立支援センター南さつま」という作業所に通っています。3種の障害の人達が働いています。その内視覚障害者は4人います。皆さんがやさしく手を差し伸べてくれるので楽しく過ごしています。箱折り・島らっきょうの袋詰め・野菜の収穫などの仕事をしながら,合間に,仲間のお手を借りながらエコクラフトでふくろうのストラップを作ります。自分で言うのも何ですが「可愛い」と人気急上昇中なんですよ。

 私は,平成7年の3月に大阪から主人の母と暮らす為に帰ってきました。まだ,多少見えていたので「母が80歳を過ぎて一人暮らしが心ぼそい」というので一緒に住む事にしました。ですが,鹿児島には私の知り合いは誰もいなかったのでノイローゼになりそうな時もありました。

 加世田視覚障害者協会に誘っていただき,卓球をするようになってから,本来の明るい自分を取り戻せた事をとても感謝しています。そして,母は昨年他界いたしました。亡くなる前頃には「おまえたちが帰ってきてくれてよかった」とか「恵子さんじゃなきゃすまん」とか試合があった日は「どげんじゃったな」と待っててくれ,金色のトロフィーを見せると「関心じゃんね」と喜んでもらい,今となっては良い思い出・良いお勉強だったと感謝の気持ちでいっぱいです。

 私は,今年の長崎国体に出場できる事になりました。「今度こそ金メダルを」と思っています。精一杯頑張って楽しんできます。

 2人の息子も社会人となり,2人の孫もできて,私は幸せ者だと感謝しています。これからは,大好きな事をして,楽しい所へ出かけて,残された人生を笑って生きて行きたいと思います。

 最後に,この度のきかいを与えて下さったことを感謝いたします。これからもよろしく御願い申し上げます。有り難うございました。

平成26年度 視覚連会報第1号より転載いたしました。


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